このままで結婚式費用は足りるのか…?

ウェディングドレスの新婦結婚式を控えて貯金200万を目指したかったのですが、二重の手術、前歯の手術が結構な出費で目標金額ぎりぎり…。結婚式を地元で行うため、毎月1回は飛行機に乗っていたのでそれでもお金を使いました。

しかも私の仕事は塾受付という低所得職種でした。13:00~23:00まで働いて給料は15万前後です。仕事内容だって楽ではありませんでしたし、パワハラや保護者との付き合いなども大変でした。関東は家賃も高く、物価も高く…でも結婚式はケチりたくないということで節約も頑張りました。
でもそのままでは厳しかったため、私が転職することにしました。塾は昼からなので、朝転職活動をして昼から出勤できたのはよかったです。派遣でしたがよいところが見つかり、自給1600円で規則正しい労働環境になりました。これで給料はかなりあがりました。
そして食事です。前はお互い働く時間が違ったためお弁当や夜ご飯を作れず、購入することも多かったですが、転職してからはそれがなくなりました。既に一緒に住んでいた彼にもお弁当を作ることができるようになったので、昼食に500円使っていたのが0円になったと喜んでいました。休みの日はどこにも出ず、外食も控えました。

なんとか目標金額も超え、式の費用も支払うことができました。
やはり一番の転機は転職でした。女性なので派遣でも大丈夫ということ、彼が安定した職についていたので、転職に迷いがなかったこと、偶然いい待遇の職を見つけられたことがよかったと思っています。
今思うともっと早く転職しておけばよかったと思いますが、そうすると今の職場との縁もなかったと思います。これからも貯蓄を頑張っていきます。

ギャンブルにハマり本当に困った

スロットのイラスト自分だけは絶対にハマらない。大丈夫!そう思っていたのにまさこんなことになるとは…。

きっかけは新しい職場で仲良くなった友達がギャンブラーだったことでした。それまでギャンブルに良いイメージが無かった私はパチンコやスロットや競馬など一切やったことがありませんでした。

仕事が早く終わった日、友人に連れられてスロットを打った日に人生が変わりました。絶対にハマらない、一回だけ!と思ってお店に入ったらまさかの大当たり。短時間で数万円を手にし天にも昇る心地でした。それからと言うもの、スロットにハマり、給料の半分以上をスロットに費やすようになってしまいました。はじめは2スロだったのに気がつけば20スロをやっていました。

勿論毎回勝てるわけもなく、負ける日は5.6万を一瞬にして失うようになっていました。それでも、当たった時の快感と喜びを忘れられずに、当たれば舞い上がり、儲けた分を丸ごと使う無限ループでした。

案の定貯金の底は尽き、私に残ったのは残高が0になった虚しい口座だけでした

やめようと決めてもなかなかやめられずにいたのに貯金が0になった瞬間目が覚めました。高校時代から何年もかけてコツコツと貯めていた貯金を僅か数か月で使ってしまっていたからです。

全て失った気持ちで心を入れ替えることができました。勝つと嬉しいあの快感は今でも忘れられませんが、それよりも今は懸命に稼ぎ貯金を貯めていくことを自分の中で新たな遊戯だと思うようにしました。

今でも当時通っていたパチスロ店の前を通るとなんとも言えない気持ちになります。

新しいバイトで収入を増やすつもりが…。

ファーストフード店の建物私は飲食店で2年間バイトをしていました。2年間も続けたけれど、旅行にも行きたいし貯金もしたいと思い、もうちょっと時給が高いところでバイトをすることになってやめました。
新しいバイトも見つかって頑張ろうと思っていたのですが、入って間もない時に熱がでて二日間休んでしまいました。熱がでた三日後にバイトの責任者の方から「もう来なくていい」と言われてしまいました。まだ信頼関係ができる前だったので、勤怠のルーズなタイプと思われてしまったのかもしれません。

とりあえずバイトをしないと貯金どころか、月々の支払い分まで足りなくなってしまうと思い必死に探しました。けど、見つからず…。とうとう次の支払日がきてしまいました。もちろんバイトしていなかったから支払えず…。

学費に定期代に携帯代に自分のことは全て自分で支払っていましたが、どうしてもお金が足りない。本当にどうしようもない状態になって、彼氏が自分の親にお金をかりてくれました。次の月には必ずお金を返すと言って…。彼のご両親のおかげで支払いの分は全て支払うことができました。ほんとに感謝です。

その後よいバイトも見つかって、無事に彼にお金を返すことができました。彼にも、彼のご両親にも本当に助けて頂きました。

スクーターによる人身事故で借金

スクーターの事故二十歳のころ、仕事終わりスクーターで帰宅途中、歩行者に接触する事故の加害者になってしまいました。
その日は雨が降っていて、道路に大きな水たまりがありました。それを避けるように被害者が道路中央付近を歩いていたのです。
時間帯は午後8時頃で周りはすっかり暗くなっていたため、被害者を発見するのが遅れ、避けたけれども肩に掛けていたランチボックスや水筒が被害者頭部に接触したらしく、救急車で搬送されることになりました。
怪我は大事に至らなかったのですが、まだ一年ほど残ってるはずの自賠責が切れており、任意保険も入っていなかったので、実費で医療費を負担することになり、通院治療費及び精密検査費など80万円ほどの医療費を病院側から請求され、月々5万円の分割にしてもらいなんとか支払いました。
被害者の通院が終わると同時に、休業補償、慰謝料、示談金も請求され、消費者金融3社から85万円を用意しやっと示談にしてもらえました。その後のローン返済は、病院側の治療費と消費者金融の利息を支払うのがいっぱいいっぱいで、完済までに8年ちょっとかかりました。
ちょうど今から、30年前の出来事ですが、利息ばかり支払っていて元金が一行に減らないので、苦しかったです。

お金のピンチは突然やってくる!

地震で揺れる家まさに今、お金のピンチが続いています。
熊本地震の影響の被害にあいました。
自宅・家族共に無事だったので家具・家電を早急に買う等は無いので良かったと思っていたのですが、会社も被災したため、2週間程休みになりました。また当時は自分たちの食料を確保するのに必死だった為、あまり気にしていませんでしたが、断水等もあり普段あまり買わない水の大量買い、ガスが使えないお弁当等生活で、普段より食費にかなりのお金を使っていました。
給料日には、有休を利用したとはいえ2週間の休みのつけもまわってきました。通常の給料より2万ほど少ない手取り。更に奥さんはちょうど産休に入った時期だったため、10万ほど少ない給料に結果的に通常月より12万も収入が減っており、家計としては大問題です。
さらに私は、若い頃の借金の返済が毎月あり、その金額だけで給料が無くなってしまうという状況で、更に、熊本地震で支払いが延びていたケータイ代・ネット代・ガス代等の請求が2ヶ月分一気にきました。
そして車の税金・車の保険料。。
3月に引越をしたので前の家の退去料の請求も来ました。地震があり、支払いを延ばしてくれたのは良いのですが、落ち着いた頃に一斉に送られてきた請求書…。正直通常の給料でも足りないのに、12万も収入が減った今どうやって工面するか悩んでいます。
来月には子供も産まれる予定なのでその準備で色々買いたい物もあったのですが、自分たちの食費すらない状況です。とりあえずは、今奥さんは働ける体ではないので自分が日雇いのバイトを探し、保険を一個解約して、何とかしのいでいます。奥さんも知り合いに声をかけてベビー用品を譲ってもらったりしています。実家も地震の影響で物入りの為頼りづらい状況・地震のストレス等もあるのであまり奥さんにも負担をかけたくありません。

色んな所から地震に対する寄付金等が集まっているようですが、家も家族も無事。お金がないのは自分達の都合の為特別収入が入る事もありません。ですが、家も無くなってしまい、避難所で生活してる人もいるのだからと、タイミング悪くやってきた人生最大のお金のピンチを乗り切ろうと頑張っています

所持金が小銭だけ

小銭6種20代前半の頃に、実家を出て一人暮らしを始めました。計画的に家を借りたわけではなく、親と少し揉めて突然出て行くことにしたため、お金に余裕がありませんでした。
部屋を借りるだけでも契約金で大きなお金が飛んで行き、さらに初めての一人暮らしで家具、家電を一から揃えなければなりません。最低限必要な物だけ購入しましたが、それで貯金が底をついてしまいました。後は友達にいらない家電を譲ってもらいました。
働いていましたがまだ若く、収入は低かったので、家賃、光熱費だけで精一杯。食費を削るしかありませんでした。当時は、「もやし」にかなり助けられた思い出があります。安くてたくさん入っているのでよく夕飯にしていました。
そしてまだ周りにの友達が独身ばかりだったので、よく男友達に奢ってもらったりもしました。当時は貯金ゼロで、給料だけで生活しなければならず、本当に所持金が小銭だけになることもあり、今では考えられないような生活でした。
若かったので「これも経験だ」と明るく過ごしていましたが、極貧時代を何とか乗り切れたのは、友達に助けられたからだと本当に思います。持つべきものは友達です。一人暮らしは計画的にしなければいけないと学んだ経験でした。