自分の力を試してみたい…と脱サラしたが…。

彷徨うサラリーマン主人が「自分の力を試してみたい。試すなら今が最後の機会だと思う。」と、7年前に脱サラしてフリーで仕事を始めました。 まだ当時は子供も幼稚園と小学校2年生だったので「今ならまだ応援できる」と思ったのですが…。 人生そんなに甘くないですね。

自分で営業して仕事取ってきて、自分で働いて。契約取ってきてもそれが終了したらまた探す。それの繰り返しですから大変です。主人が会社を辞めてから5年位は私が独身時代に貯めていた貯金を切り崩し ひとりで全部するなんて大変ですから会社は分業してるんですよねぇ。 「なんでもして稼いでくるよ」って言っていたのに、疲れちゃってそれどころではありません。 て生活してきましたが、もう底をつきました。

子供も大きくなって、どんどんお金がかかるようになってきて大変です。 主人も自分で限界を感じたのか、2年前に「就職する」と職探しを始めましたが…未だに仕事が決まりません。2年も探して決まらないんです。私も5年前からパートに出て働いていますが、周りに誰も頼れる人が居ないので子供関係は全て私がやらなくてはいけないためにフルでは働けずにいましたが、もうそんな事は言って入られないのでフルで働きます。もっと稼げる仕事も探します。 収入を増やすしか生きていく道はないので働きますよ。

自分の甘さゆえに発生した金銭的ピンチ

迷惑メールのイメージ大学生の頃になるのですが、私は親元を離れ下宿を借りて生活をしていました。当時迷惑メール(芸能人の名前を使って連絡してくる類のもの)がよく来ていたのですが、そのメールの一つに無料で返信出来るものがあり、興味本位で返信をしたのが始まりです。本当に芸能人からメールが来るわけが無いと思っていましたが、知らぬうちにどんどんはまっていってしまいました。

理由として返信内容が非常に個人的なものだったり、テレビ出演していた時などはその感想を聞いてくるものなど、まるでその芸能人本人が連絡してくれているみたいで私が勝手に錯覚してしまったからです。このようなサイトでは返信1通につき何円と費用が決まっており、それは銀行振り込みになっていました。すっかり信じきってしまっていた私は、メール返信のために親が送ってくれた生活費用の中から月数万円ほどつぎ込んでいたのを覚えています。返信してもすぐ向こうから返信が来るので、毎月本当にかなりの額を使用していたと思います。

ある月、返信費用として使っても良い額よりも多く使ってしまったため、その月の家賃が払えなくなり、翌月ペナルティーとしてさらに家賃を多く支払う羽目になりました。これが私が感じた一番の金銭的ピンチでした。それに気づいた親は不審に思い私を問いただし、今回の事が発覚しました。それ以降は向こうから返信が来ても一切返さず過ごしたので、何とかその後は立て直すことが出来ました。本当に純粋でだまされやすかった自分が嫌になりますが、高い授業料を払ったと思って、この出来事は私の教訓となりました。

急な妊娠で転職して1000円で暮らす

1000円札5年前に離婚してフルパートで仕事をしていました。一人暮らしをし始めて数ヶ月したときに勤めている会社の同僚とお付き合いするようになりました。付き合って翌月で妊娠がわかり、つわりも時期にやってきて仕事ができるような状態ではなくなってしまいました。彼も実家への仕送り、家賃等でギリギリの生活を送っていたので、私とは結婚はするものの今すぐ面倒を見れる状況ではありませんでした。

私は介護の仕事をしていましたが、おなかが大きくなってきたらできなくなるので退職し、理解のある会社の事務職として働き出しました。そこでの給料は前の会社の3/2にも満たない金額だったので、家賃など固定費を払うと手元に残るお金は微々たるもので、貯金も同時に崩していったので財布に1000円残るか残らないかの生活を3ヶ月続けました。

そして、入籍をすると同時に実家の近くに引っ越しをしました。アパートの大家が実家なので家賃も払うことなく借りることができ、主人と娘と三人で生活をしています。余裕のある生活とまではいきませんが、毎月しっかりと貯金をして前みたいな生活を送りたくないと節約しながらです。いつかその貯まったお金で結婚式や旅行をしたいと話をしています。

原因不明の体調不良のせいでピンチに

欠けた茶碗にのりごはん若い頃、なかなか仕事が決まらずに半年位プー太郎生活をし、やっと仕事に就いた会社はボロボロの今にも潰れそうな食品工場でした。ここは雇用保険も社会保険もかけてくれない会社でいわゆるブラック企業。その中で原因不明の体調不良に襲われて二週間位会社を休みました。その間にも何回も病院行ったので血液検査やら薬やらで出費もかなりかさみました。

もちろんパートだったので働いた時間しか給料は貰えず、その月の給料は忙しくない時期も重なり4万弱でした。実家暮らしで当時は家に2万入れて携帯代と生命保険料を払ったら手元には数百円しか残らず、貯金もほとんどなかったので取りあえず数百円で生活をしてみましたが足りる訳もなく。すぐに0になり親に申し訳ないと思いながら一万円借りてしのぎました。後にも先にも親にお金を借りたのはこの時だけです。

何も買えずどこにも行けずバス代もないので雨の日は歩いて片道30分以上かけて会社に通ってました。もちろん昼は弁当持参(前の日の夕飯の残り物等)で飲み物も持参、もしくは会社で水を飲んでいました。あまりにも惨めでこの会社にいた時は友達とも会わずに過ごしていました。まだ実家暮らしだから食べ物には困らなかったけどお金がないって本当に辛かったです。

最大のお金のピンチはやはり子供の学費!!

積み上げたノートや文具子どもの学費・・・ですが、その前に「離婚した」事があります。何度も離婚したいと言う思いはあったのですが、でも「もう少し頑張ってみよう」とやって来ました。「もう少し頑張ろう」と決意する度に私は、貯金などを家庭に投資する癖があったのです。

例えば、20年近く前に家を建てたのですが、離婚をする2年前に頑張って頑張って完済しました。そして同じ頃に、元夫の希望により車もキャッシュで購入しました。モラハラ気味の元夫をご機嫌にするには・・・と言うことをメインで生きていた、今考えたらちょっと病み気味のあの頃・・・夫のご機嫌のために家をオール電化にリフォーム・・と色々やって来たのです。

その結果・・・貯金が少なくなり、元夫には住みやすい家を残し、モラ気味なので財産分与とかの冷静な話しも出来ず、早く逃れたい一心で子供たちと家を出ました。そして2000万以上の家を8年程で自分の貯蓄も注ぎ込み完済した私が(夫は全く無頓着で知らない事)その3年後には賃貸暮らしになっていました。

その上、3人の子供たちが多少勉強が好きだったこともあり、学区外の高校に立て続けに進学したため(親の勝手な都合でダメだと言いたくなかったのです)普通の人間ならノイローゼになりそうな逼迫した家計状況になりました。私はそれまで夫としていた事業のノウハウを元に、自分でその仕事を始めて開業。普通に勤めることも考えましたが、子供の学校での能力を考えると、それではとてもどうにもできないと思ったのです。

でも、起業と言うのは軌道に乗るまでが大変です。だから離婚と生活の変化と子供の進学と起業とが全て重なり、寝ても覚めても頭の中は「お金、お金、お金」でした。それをどうやって乗り越えたか・・・それはもうがむしゃらに働く!自分がこれまでやって来た仕事と生き様を心に刻み「私に出来ないはずはない」とがむしゃらに働きました。

それから、これまでは「ちゃんとした自分」に重点を置いて生きて来ましたが、離婚を経験したことで「自分はそれほど大した人間じゃない」と認識し、頼れる人には頭を下げて頼るようにしました。元夫から何かを手に入れる事も「話し合いにもならないし」と諦めていましたが「必要であり、手にするべきものを正当に請求するべき!」と心を決めて、少しでもどうにかして欲しいと訴えました。

本当の意味で「強く」なったのだと思います。今でもまだ3人とも学生ですので、余裕があるかと聞かれたらありません。毎日「宝くじ当たらないかな~」と夢見ていますが、、それでもあの山は越えられたと思います。一人で頑張ったところで3人の子供に残せるお金なんて大してないですが、学びたいと言う思いを摘まなかったことだけでも自分を褒めようと思っていることろです。

商品券などを売りなんとかしのぎました

空腹の女性私はフルパートで働いていました。だいたい給料は15万くらい。主人は仕事はしていましたが、会社の研修で6か月家を空けていたためその研修の期間の給料は10万弱くらいでした。結婚したてで、フルパートで働きだしたばかりだったので我が家には貯金がありませんでした。

出費は家は賃貸で9万くらい、光熱費やケータイ代、ガソリン(毎週2回、愛知県と滋賀県を車で往復)、自分の食費、主人が仕事で使う費用、ペットの保険など合わせて正直ぎりぎりでした。出張先で主人にう時は必然と外食になってしまうため時にはお金が足りないときもありました。

主人は浪費癖があり仕事のもので必要なものを買うのは仕方がありませんが、どうでもいいものを買ったりすることもしばしば。もともと生活費は折半していたのですが、しだいに折半どころか私の負担する額のほうが大きくなっていました。そのため私の貯金はもちろんありません。

そして、お金に困った私はどこでもらったのか覚えてはいませんが商品券を金券ショップに持っていきお金に交換してもらいました。たまに自分の食費をうかすため、食べないこともありました。そうやって6か月近くなんとかしのぐことができました。

大好きな恋人に誘われてギャンブルに

スロット私が専門学校を卒業し医療事務として働いていたころ、私にはひとつ上の恋人がいました。学生のころの恋人とは違い将来を考えていましたが、ギャンブル(パチンコ、パチスロ)が大好きだということ、本人のみならず家全体が貧乏だということ、この2つの欠点が結婚へ踏み出すにはネックとなっていました。

そんな中「ちょっとだけ遊びでやってみなよ」と言われ、初めてパチスロを打ったとき、ビギナーズラックで10万もの勝ち分を出してしまい、少しずつパチスロに対する抵抗が薄れていきました。

それと同じころ、恋人の家族から「借金の返済で、どうしても30万必要なんだけど、必ず返すからどうにか貸してもらえないだろうか」と泣いて頼まれ、まだ若くもコツコツと貯金し、手元に100万は貯蓄があった私は、必ず返してくれるなら、と納得し貸してしまったのです。

今考えると本当にばかなことをしてしまったと思いますが、当時はその恋人が本当に大好きで、もう自分にはこの人以外ありえないと思い別れるなんて絶対にないと思っていました。その後、職場の人間関係が原因で私は仕事をやめ、再就職するまでは恋人とパチスロの毎日。負けが続いても、なにか理由をつけては毎日打ちに行っていました。

気づいたころには100万以上あった貯蓄が底をつきそうになり、そんなときに恋人の家族からまたお金を貸してほしいと言われたのです。計算してみると、その月の生活ができなくなることに気づき、さすがに断りました。と言うより、恋人と別れました。このままではもう破産してしまう。そう思うと、大好きだった恋人もパチスロもスッと自分の頭から消しざるを得ませんでした。

昔から貯金が好きだった私は、早く別れるべきだった恋人に依存し、もともと嫌いだったギャンブルに依存し、自分の貯蓄がなくなるのを肌で感じてやっと抜け出せました。その後、恋人の家族からは少しずつお金を返してもらっています。

上京して一人暮らしで無計画さゆえにピンチに!

お腹が空いた女性10年近く前にどうしても上京したかった私は、貯金30万持って少しの荷物を持って勢いで東京に来ました。仕事先はとりあえず稼がなければ!と夜の高収入ワークへ。日払いである程度のお金はもらえたが、洋服代、交際費などで日払いもすぐ飛んでいってしまいます。

そんなその日暮らしを続けていると、貯金も底をつき、給料も生活費などでかかるため毎日がぎりぎりの生活を送っていました。寂しさのあまり、友達と毎日一緒にいて朝方まで遊んだり余裕がないのにタクシーを使ったり、お寿司をおごったり。一人になるとできるだけ節約してました。

しかし精神的に限界が来た私は家に引きこもるようになりました。給料も入ってこない、貯金もない、外に出るのが怖い、悪循環に陥りました。食事は節約のため1日1食、お菓子で過ごしたこともありました。お財布の中は何百円しか入ってません。何もできませんでした。

とりあえずおごりで誘ってくれる人もいたので、そういう時だけきちんと栄養が摂れました。短期バイトで日払いの所を探しなんとかその日暮らしを続け生活してこれました。今ではお金がなくなるのが怖くて買い物はじっくり考えてから購入するなど金銭感覚がしっかりしたと思います。見栄を張ることもなくなったので、今は貯金もできています。ある程度計画的に使う方が後々困りません。

アルバイト掛け持ち始めます!

ソフトボールする女子子供の頃から貧乏でした。成人しても、結婚しても、母親となった今も貧乏には変わりありません。などと言うと主人に申し訳ありませんが、30代夫婦の平均以下の収入しか無いのが現状です。そして今が最もピンチ!!

もともと収入が低いのにカッコつけたくて、みんなと肩を並べたくて、見栄を張りたくて。カードローンにクレジット、キャッシング、ありとあらゆるお金に手を出しました。で、気付くと首が回らないほどの状態に。

そこに輪をかけ、長男の小学校入学に伴う出費、ランドセル・スーツ・机・・・。周りからのお祝いなどもありましたが子供の為とまた見栄を張ってしまいました。そして、次女はソフトボールのスポーツ少年団に入団。スパイク・ユニフォーム・スポーツウェア・ソックス・・・。毎週のように練習試合だ、合宿だとお金を徴収され、車も各家庭で出さなければ行けません。我が家の愛車はセダンタイプだったため買い換えを検討しましたが、カッコつけたがりの主人が選んだのは中古でも360万円もする高級車だったのです。わたしの意見はほぼ却下で決定されました。

そして今。日課となった支出と収入の計算をしたところ、過去無いほどの支出の多さで絶句してしまいました。そこで、現在も1日5時間、週5回ほどドラックストアでアルバイトをしていますが、もうなりふり構って入られません。今はやるしか無いと思って、あらたな仕事を探しているところです。

海外生活でのピンチを乗り切った体験談

シェフのイラストワーキングホリデイでカナダへ行った時、口座残高が6万円という非常事態に陥りました。

元々、資金も豊富にあった訳じゃなかったので語学学校を卒業してすぐ仕事を見つければどうにかなるだろうと、英語もろくに話せないのに安直に考えていたのが失敗でした。しかもその残高6万円から翌月の家賃の3万円を支払うと残高3万円。

日本なら親に電話してちょっと貸して~と言えば済むかもしれませんが、海外だと送金して貰わないといけないのでお金も時間がかかります。

それに、反対をおしきってワーホリへ来たので親には頼りたくないというプライドもありました。
とりあえず働くしかないと思ってたので10枚くらいの履歴書を作り仕事を探し始めました。当時語学学校を卒業したばかりで全然英語力はなかったのですがとにかく必死でした。

自分の足で求人情報を貼ってあるレストランへ飛び込み、何件か面接を受けましたが英語力がないので不採用。
どうにか今の現状を打開しようと思ってる所へネットで見つけたレストランのキッチンの求人情報へ連絡してみました。
すぐ面接してくれるという事だったので、とりあえず自分を一度使ってもらうしかないと思い、面接では「自信があります。働きます」をただ連呼(笑)面接を担当してくれたシェフはあきれ顔で「なんで英語も話せないのにそんなに自信あるの?じゃあとりあえず今日から3日間使用期間として働いてもらってよかったら採用するよ」と言われその日に働く事に。

結局、その日に働いて仕事ぶりが評価され即日採用になり、なんとかピンチを乗り切りました。人間、本当にピンチになればなんでも出来るなぁと感じたと共に今まで考えもしなかった「貯金」を意識した瞬間でもありました。いい勉強でした。